①今教育を考えるとき
2020年から2021年にかけて時代が大きく変化しようとしています。
コロナ禍で働くスタイルが変化したり、経済的な危機も起こっています。
また学校が休校になったり、大学ではオンライン授業が主流となったりしています。
その中で大学の入試制度が変わったり、小中学校でプログラミングが取り入れられるようになったりもしています。
学校の授業でタブレット使うところも多くなってきました。
今「教育」も大きく変わろうという時代です。
時代の流れという大きな観点からみたら、AIの進化により、シンギュラリティが起こりAIが人間より賢い知能を生み出すことで人間の存在意義が大きく変わる時代がくると言われています。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「ホモデウス」では人間は無用者階級になると言っています。
人間が生きる意味価値をみつけにくくなる時代になるのです。
今の子どもたちが生きていく時代は私たちが生きてきた時代と大きく変わります。
今までの基準でみることができませんし、どんな未来があるのかも予測することが難しいです。
その時代を生きていくためにはどうしたらよいでしょうか。
キーポイントとなるのは教育です。
子どもたちだけではなく、私たち自身の生き方もこれまでとは大きく変わります。
ですので、子どもの教育だけに関わらず、わたしたち自身にも教育が必要です。
イマヌエル・カントは「人は教育によって人間になる」と述べていますが、人間らしく生きるためには教育が必要です。
この大きな変革が起こる時代に必要な教育とはどんな教育でしょうか。
「教育」を今までのイメージでとらえて、どんな教育が必要であるかを考えても、これからの時代は使えなくなると思います。
人間、どうしても目にみえるところのhow・どんな教育かを考えてしまいがちですが今改めて、「教育とは何か」という出発から一人一人が教育の規定と重要性を共有していくことが必要な時ではないでしょうか?
➁教育の現状は?
今あなたが受けてきた教育の中で知っていること、そこから日常使っていることはどのくらいあるでしょう。
人間が知ることができる知識量は限られているし、それを使うとなると、もっと少ない量なのかもしれません。
自分が学んだことの何を理解していて、何がわからないのか、それも曖昧な状態ではないでしょうか。
私が子育てをしていて思ったのは、知らないことだらけ、わからないことだらけだったということです。
学校でも、仕事でも、家庭でも、子育てとはこうなるということは教えてくれませんでした。
子どもが生まれるとわかって、初めて知識として、育児のことを学ぶものの、その通りに行かないのが子育てです。
人間だからあたり前ですが、教科書通りにはいきません。
けれど暗記教育、教科書通りにしか学んでこなかった私は、例えば育児本に書いてあることが正しいことと認識し、そうならない私と子どもの関係に、「私の何かがいけないんだ」と瞬時に自分に対してダメな人だと判断をしていました。
得た知識が活かされるどころか、自分の可能性を否定してしまうことに使われるのです。
あなたにも思い当たるふしがありませんか?
実は人の可能性を小さくしてしまう要素も含んでいるのが今までの教育です。
親子関係で見てみると、親は自分自身が親と築いてきた関係を土台に、その時代の情報をプラスして教育しようとします。
この自分自身が親と築いてきた関係性が強烈にあるので、例えばこれがいいのではないかという憧れの子育てをみつけようとし、
著名な教育者の先生が書いた本を読んで行動してみることや、憧れ子育てをしているママさんをモデルに子育てをしようとしたりもます。
でも書いてある通りのことをしようとしても、自分と親とのパターン化された関係性しか築けないので、思うようにはいきません。
そのモデルとする子育てをしようとすればするほど、苦しくなってきたり、窮屈になってきたりするのです。
ですのでどのような教育(how)をしようかと考えるよりもまずは「教育とは何か」を考えることが重要です。
「教育とは何か(what)」「なぜ必要なのか(why)」それがあっての「教育をどのようにしていくのか(how)」になります。
このことを知ることで、迷いがなくなってくるのです。
➂教育とは何か
教育とは何か。ここで教育の定義を見ていきたいと思います。
”教育とは対象の人間の心身を変化させることを目的とした活動である。教育は一般的には善意に基づいておこなわれて、
対象者の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、道徳を体得させたりすることにより、その人が持つ能力を引き出すことができる。”
と一般的には定義されています。
このことを知ってましたか?
普段当たり前のように「教育」という言葉を使っているかもしれませんが、凄いあやふやなまま使っていたりしますね。
ここで質問です。
①「心、精神とはどんなもの?」
➁「見えないものを変化させるのはどうするの?」
➂「変化の仕組みがわからなければ確実な変化はつくることができないのではないの?」
④「知識、技能、道徳を得ることでどうしてその人がもつ能力をひきだすことできるの?」
➄「能力って何?」
重箱の隅をつついているような質問だと感じますか?
それとも、あー、言われてみれば・・それどういうことだろうと感じますか?
この質問は大事です。
日本人は質問したり、ディスカッションをする経験が少ないと思います。
学校でも先生の話を一方的にきていることが多いし、家でも家族みんなでディスカッションするという家庭は多くは無いと思います。
なので質問することに慣れていなかったり、質問さえ出てこないということも良くあるのかと思います。
余談ですが、欧米ではディベートが当たり前のように行われています。
欧米と日本とのその差は宗教、キリスト教徒仏教との違いということもあるらしいです。
そして質問が出てくる人と質問が出てこない人の違いというのがある記事に載っていました。
①わかったつもりになっていませんか。
➁与えられた情報を鵜呑みにしていませんか。
➂そもそも土台となる知識と経験が足りないかもしれません。
さらに人間の頭が、疑問を持てるようになっていないということもあるそうです。
ですので、話を聞いている大半の人が、初めて聴く話でも「ああ、そうなんだ」と思ってしまい質問がでてこないそうです。
けれど子どもはなぜなぜ期と呼ばれる時期があり、2歳から6歳のころに「なんで?」「どおして?」と繰り返し繰り返し質問をするような時があります。
このことによって、子どもの世界がぐんと広がります。質問が無ければ、成長が止まってしまうのです。
また質問が出るということは、目の前のことに対して、自分自身に対して、疑えるということです。
こんなの知っていて当たり前、なんとなく知っているつもりになっていることに対して、本当に知っているの?と思えることです。
ここから自分とつながった探求が始まり、今までにない観点と出会い、そこから意識の拡張が起こるのです。
子どもはこれを自然としてしまうけど、いつの頃からか、年齢を重ねるにつれて、人は知っていると思い込み、
目にするもの、耳にするものを当たり前のことと認識し、探求心を忘れて、マンネリ、学んで気づくことの感動を忘れてくのです。
質問はいくつになっても持ち続けたいですね。
質問を持てることも教育の大事なポイントです。
話しは教育とは何かについてに戻します。
先ほどできてきた質問の他、あなたも疑問、質問が出てきたでしょうか?
「教育」と当たり前のように言葉を使っていますが、一人一人が勝手な規定で使っているし、その規定を知ったとしても、そこに対して質問が出てきます。
この「教育とは何か」という質問に対して、全てクリアになったときに、もっと規定が明確になり、その教育が必要なのかどうかの判断ができ、必要だとなったならば、どのような教育をしていけばいいのかがわかるのではないでしょうか。
④質問に答えはあるのか
①「心、精神とはどんなもの?」
一般的には心は人間の精神的な作用や、それの元となるものなどを指し、感情、意思、知識、思いやり、情などを含むとあります。
精神は人間の心。また、その知的な働きとなってます。
心も精神も区別が曖昧です。
心とは何か。心とはどこにあるのか。
これは人間がずっと追い求めて来ているテーマだと思います。
色々な角度から追求されてきました。
古代中国では心は心臓、お腹、胸に宿っていると考えられていたり、古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスは心と体はひとつであり、分離できるものではないと規定していました。
また儒学者の陸象山という人は「宇宙は即ち是れ吾が心、吾が心はすなわちこれ宇宙」「心はすなわち理なり」といい、宇宙の理とそれと一体化した自分の本心があるとしていました。
どこにあるのか説もバビロニアでは肝臓、ヒポクラテス(古代ギリシャの医学者)は心臓、プラトン(古代ギリシャの哲学者)は脳と脊髄、アリストテレス(古代ギリシャの哲学者)は心臓と言っているようです。
どうしてそう思うのかを考えても面白いですね。
けれど心が何か、どこにあるのかは紀元前から2500年以上考えられているけど、だれ一人も明確にしたことがありませんでした。
➁「見えないものを変化させるのはどうするの?」
➂「変化の仕組みがわからなければ確実な変化はつくることができないのではないの?」の質問になりますが、変化とはある状態や性質などが他の状態や性質に変わることです。
例えばテストの点数が50点が80点になるだと一番わかりやすい変化だとは思います。
点数で見る分の変化はわかるけれど、その裏にある考えや理解の度合い、どんな心持であったのかは図計ることができません。
心がわからない、さらに身体のことだってわかっていないということはその人の一部分をみて、変化しているだろうという曖昧さが残ります。
それが④「知識、技能、道徳を得ることでどうしてその人がもつ能力をひきだすことできるの?」
➄「能力って何?」の能力にもつながりますが、その人の部分しか取れないのに、その人の能力をどうとらえるのでしょう。
能力とは物事を成し遂げる力です。物事を成し遂げるには仕組み(過程)があり、その仕組みをつくりだす為にはそれをつくりだす大元があります。
その大元と過程は認識できることができません。
明確に能力を図るのは目に見えてるところだけではないんですよね。
けれど、人間目に見えるところの結果にこだわってしまいます。
ここまで見てきたように、凄いあやふやなところで教育は行われてきたのです。
これまでの教育は誰かが発見してきたことが社会の共通となり、社会をつくる上で必要なことを教育として行ってきたのです。
誰かが決めた心と精神、身体という言葉の規定であるし、誰かが決めた良しとする変化、そして誰かが決めた必要な能力。
誰かによって可能性を狭められてしまっている教育なのです。
それによって世の中は様々な格差が生まれてきています。
人種格差、性の格差、貧富の格差、人と人との能力の格差など。
そしてこれから訪れるのが意識と心の格差、つまりAIと人間の格差です。
最初の今の時代でも書きましたが、その差は今までにない格差になると思います。
その曖昧、格差をつくる教育でいいですか?
これからもその教育を学び、与え続けますか?
➄これからの時代の教育
心とは何か。
変化はどこからどこまでを変化というのか。
変化をどのように創りだすのか。
能力を生み出すものは何か。
能力を活かすにはどんな仕組みをつかったらいいのか。
他にも、人間が本当に知らなければいけないことを私たちは知ってはいません。
人間とは何なのか。
人間はどこから生まれてくるのか。
人間は何のために生まれてくるのか。
なぜ年を取っていくのか。
病気になるのはなぜなのか。
愛とは何か。
宇宙とは何か。
質問を考えてみてください。
この質問を追求していったのが学問ですね。
学問とは物事を色々な角度からみることで、哲学、歴史学、心理学、言語学、なのどの人文科学、政治学、法律学などの社会学、物理理学や科学、数学などの自然科学など総称です。
これを軸に今の学校教育はプログラムされていると思います。
そもそもこの学問が追求していたものがこの宇宙の成り立ちや宇宙を成り立たせるものを知りたい!
すべての根源を知りたい!という欲求だと思います。
ですので、この全ての根源を理解できることで、全ての質問の答えを明確に得ることができます。
そして、自らその根源を使って、この世界を観ることができるので、
誰かが創った規定に従うのではなく、自らも規定を創りだせる人間になると思います。
それができること、その根源が何であるかを共有できることが本当の教育ではないでしょうか。
その教育が今日本で誕生し、完成しています。
それがPU感覚デジタル哲学認識プログラミング思考を取り入れた教育です。
あらためて、今時代が大きく変わるときです。
天道説から地動説に変わったときの変化の大きさは、想像できないくらいの衝撃だと思います。
黒電話使っていた時代から、今スマホを使うだなんて全く想像外で、
スマホが無い時代の人からみたら、かなり衝撃的だと思いませんか?
それをはるかに超え衝撃なことが天動説から地動説への変化です。
その時代の変化の100兆倍くらい、衝撃的な変化が今起こるときなのです。
その変化をどう創っていくのか。
人間がAIとの格差にやられて、当たり前の中に閉じこもったまま、無用者階級になっていくのか。
それとも人間がAIにはできない能力を発揮して、今までの当たり前を超える大変革を起こしていくのか。
教育が鍵です。そしてあなたの選択が未来を決めます。
まずは教育とは何かを考える一歩から始めてみましょう。