先日、映画『日本独立』https://nippon-dokuritsu.com/を観てきました。
JeiGridの仲間に勧められて、短い上映期間に間に合うように急いで映画館へ駆け込みました。

このブログを見ている皆さんは、日本語を読める方、つまりはほとんどの方は日本人でしょう。

しかし、どれくらいの方が日本について深く理解しているのでしょうか。

そして、このブログを見ている方の中には、IT会社のブログに、なぜ、日本の話を持ち出すのかと
違和感を感じている方もいてもおかしくないと思います。

最後にはつながるので是非、感じた違和感をいったん横に置いて読み進めてもらえたら光栄です。

日本は、近代の歴史を学校で学びませんよね。

「明治維新」のことにいたっては、一行「明治維新」と書いてあるだけで、そのときどんなことが行われていたのか、学校では全く学ばずにここまできました。

ここで少しimageをしてみてください。
もし、道路を走っている車のタイヤが子供の乗る三輪車のタイヤだったとしたら・・・

あきらかに、車は車体の重みに耐えられないでしょうしまっすぐ走ることもままなりませんよね。
そのことは、いともたやすくimageできるのではないでしょうか。

そして、日本は近代の歴史を学校で学ばないということをこのimageにのせていきます。

実は長い長い人類の歴史の中で、近代史を学ばないということは、まるで三輪車のタイヤのついた車のような状態と同じです。

今の時代は物にあふれた物質文明であり資本主義社会であり、それは科学技術がけん引してきた世界です。
その物質文明の世界で日本も先進国という位置づけであることは多くの方がご存じですよね。
しかし、その今の時代が生まれる背景には国が生まれてからの長い脈絡をたどったうえで今に至っているのですが、日本は近代史を学ばないため脈絡が切られてしまっています。

私は、小学生のころ、縄文時代や室町時代などと比べて明治大正昭和の時代についての書かれたページが急に短くなることに疑問を持っていました。
どうしてひとつひとつ丁寧に振り返ってきた歴史が、近代に近づくとほぼ年表だけで終わってしまうのだろうかと不思議でありませんでした。

今思えば、学校の教科書を基準に勉強していること自体にも疑問を持つべきだったのですが、
教科書を基準に学ぶことに何の疑問も持たず、学校にも先生にも信頼を置いていたので、それ以上その疑問を追求することはなく終わっていました。
(注:学校教育を批判したいという意味ではありません。)

下駄箱の中にきちんと揃った上履き

国とは何なのか。
時代とは何なのか。
自分たちの祖先がどのような歴史をたどって今ここの私がいるのか。
その道すじをたどらないままに今の時代を生きるということが、三輪車のタイヤに乗っかった車体と同じような状態です。
自分の過去と、歴史と繋がったときに人はしっかりと地に足をつけて前へ進んでいけるのです。

日本以外の国は、その脈絡を当たり前のように一人一人の中に持っているし、語れるのです。

それが世界基準であるにもかかわらず、日本の近代史を語ると「右翼」だという偏った見方をする人のように言われることもあるくらい、不思議な国が日本です。

しかし、どの国でも自分の国の歴史を学ぶことが当たり前であることを、今の若者は知る由もないのが今の日本の教育です。
学ばないことが当たり前の教育を受けている人から見たら、学ぶ価値も意味もわからないでしょうし、近代史への関心すらきっかけがなければ作られないことでしょう。

そんな中で若者が海外留学をすると、ほとんどの人が帰国後にこう言います。
日本のことを何も知らない・・・

留学をすると様々な国からの留学している人と出会う中で、自分の国の話をされるそうです。
そして、「あなたの国は?」と聞かれ、日本人は全く語れないことを思い知るとよく耳にします。
それどころか、むしろ海外の人のほうが日本を語るということも多いと聞きます。
「日本のアニメは素晴しいよね」とか「日本の四季は素晴しい!」などと言われたという話も聞いたことがあります。

近代史を学ばないということで脈絡を切られて、小さなタイヤで大きな車体をささえている状態であることにも気づかないまま日本人は生活をしています。

これは根本を抜かれた上で、わたしたちは表面だけで生きています。
生きてる時に、生活の些細なところで矛盾を感じることってありませんか。

勉強してるときにふと、なんでこれ勉強するのだろう。
将来の役に立つのだろうか?

なぜ、スーパーに行くと、身体に悪いお菓子がこんなに並んでるのだろうか?

なぜ、道路工事をこんなにもたくさんしてるのだろうか?

なぜ、残業しなきゃいけないの?
なぜ、人に合わせて生きなきゃいけないの?
なぜ、私は生きているの?
なぜ、働かないといけないの?
なぜ、なぜ、なぜ・・・

内容は人それぞれではあっても、何か疑問を持った時そんなことを考えていては生活がうまく回らなくなるので、スパっと切って深く追求せずに、まぁいっかで次へいくということを、誰もが多かれ少なかれやりながら生きているように思いませんか?

実はすべての脈絡が繋がっていないことで、生活の中で矛盾がたくさん生まれてたくさんの疑問が出る時代になっているにもかかわらず、その疑問を追求し始めてもわからないし、その時間が生産性のない時間のようにも感じるからこそ考えを切って、なんとか生きている日本人は根なし草のようなものです。

そんな生き方が当たり前になっている背景には、日本の涙が隠れています。
そのような生き方をするしかなかった、戦後の日本の事情があります。
そうしないと、もしかしたら、日本という国自体が今はなかったかもしれないのです。

生存することすらできなくなるかもしれない、それくらい日本はいわゆる第二次世界戦争で命を懸けて戦い抜きました。
戦争が終わった後も、『日本沈没』に描かれているように日本をとことん壊そうとされていました。

哀れみ憂う仏像

日本が近代史を学ばないのは、過去に作られた戦略です。

日本自体が沈没しないため、日本を繋ぐためにその戦略をわかりながらも、どうすることもできずまず生き残ることが必要だったのです。

しかし今、生存に成功しています。

だからこそ次は、日本とは、国とは、時代とは。

すべての歴史と繋がった思考も目覚めていくときです。

ここで重要なのは、近代史をどうこう言うことではありません。

JeiGridのIT教育は、すべての源泉的動きから生まれてきた今ここを脈絡をもってみることができます。
その中には前半に書いた日本の近代史も含まれてくるのですが、それらが生まれてくるもっと背景にあるのは、宇宙自然を生み出したエネルギーです。

今、生きることがつまらない方は、ぜひJeiGridの教育に出会ってください。

すべての歴史文明とつながったIT技術との出会いは、上っ面でITを勉強することとは全く違う深さを手に入れることができます。

日本がIT後進国である理由は、近代史を抜かれていることで日本の若者が根なし草として育つ中で
力強く生きられず、若者がリーダーシップをとるべきジャンルで活躍ができないことも影響していると思います。

今、生きることがつまらない方は、ゼロになったところから歴史と出会うことが必要なのです。

教えられたものと繋げるのではなく、本当の自分と繋がる歴史を知り、その最先端にあるのがIT技術であるのです。

日本の歴史もITによる未来もDX化されていく社会も、全部が本来は繋がるものなのですが、一般的にはバラバラなものとして認識されています。

自分と日本とITがどのように繋がるのか、その深い深い脈絡が全部繋げられる自分になることで、∞のエネルギーで∞やる気をもって取り組める自分になっていきます。

自分と繋がる歴史を切られているから、生きることがつまらなくなるのです。
それは、あなた個人の問題ではなく日本の涙がそこにはあります。

日本の若者が元気がない、そして15~39歳の各年代の死因の第1位は自殺であることを変えていく、元気な若者を増やし活躍できる人材を増やしていく、日本は涙があるからこそ反転したときには、世界をリードする人材がたくさん生まれていきます。

宇宙自然の生まれたところから、今の時代までをすべて繋いで日本の歴史を憂えるのではなく、
その先の明るい未来を創っていくのがJeiGridです。

復興を遂げた大都市東京
Published On: 2021年2月16日 / Categories: 教育 / Tags: , , , , /