なぜ人生に必要な学問を学ぶためには行列が出来ないのか?

ラーメン屋さんの行列。
あなたは並ぶ人ですか?
並んでる人を横目でみていく人ですか?
私は横目でみるタイプなのですが、ここで質問です。

「なぜ人はラーメン屋さんに並ぶのでしょう?」

ラーメン屋さんに並ぶということはそこに時間とお金を投資しますよね。
時間を投資することをいいかえれば、そこに命を投資していることとなります。
並んでる人は、おいしいラーメンを食するために自分の命を投資しています。
けれどその一瞬の美味しさやエネルギーに変換されることを考えると、その使い方は消費になってしまいます。
その消費するラーメン屋さんに何を求めて並ぶのか、気になりませんか?

私がそう思ったのも、私はラーメンや食べ物に時間やお金を投資するよりも、自分が知りたいことへ時間もお金も投資したいと思ていました。
それが、「人間とは何か」「どうやったら関係性が結べるか」
私はそのことを知りたくて知りたくてたまらなかったのです。
そしてそのことを理解できる教育哲学・教育技術と出会いました。
その出会いによって、すべての根源を理解することができ、知りたかったことが知れ、知るだけではなく、技術なので日常使うことで、今までにない感動と毎瞬毎瞬出会っています。
その技術を使ってみて、人間皆、これを絶対手に入れるべきだと思いました。
けれど、人は並ばないんですよね。
逆によくわからない、怪しいなどと言って、遠ざける人も多いです。

ラーメンにしても、本当に美味しいかどうかはわからない不確定要素なのに、人はなぜラーメン屋さんに並ぶのでしょうか。
人生すべてを底上げする教育技術にはなぜ並ばないのでしょうか?

人は多数派がとっている行動をついマネしてしまう傾向があるそうです。
例えばすごい並んでいるラーメン屋ともう一軒人がいないラーメン屋があったとしたら、多くの人が人が並んでいるラーメン屋を選ぶようです。
多数派につくほうが、生存と繁殖に関して有利なことが多かったという経験の積み重ねによって染みついた、いわば戦略だと言えるようです。このことを同調伝達と言うそうです。

https://wired.jp/2013/03/16/trend-following-vol7/
総合研究大学院大学で、理論人間行動進化学を研究 大槻久

また「社会証明の原理」という心理効果という見方もあるそうです。
多数の支持を受ける物事のほうが人は受け入れやすくなる心理のこと。
さらに、特定の脳の神経細胞が原因で、人は近くにいる人の言動のみならず思考までもが無意識でモデリングするそうで、よくも悪くも周囲の人たちに、そして空気に感化されていく生き物だそうです。

このように調べると、経済学的要素だったり、心理学的要素だったりと出てきますが、それらを踏まえて私なりに考えていきたいと思います。

行列を整備する人

1.人間五感覚脳の強烈さ

人間は皆、脳がありますね。そして主に5感覚から情報を得て、その情報を脳で編集、デザインして今、目の前にモノがあると認識しています。
ラーメンがあると思うのも同じです。
目で言ったら可視光線をとらえて、ラーメンのつややかさ、鼻で言ったらラーメンの匂い、味覚でいったら濃厚なスープの味なのかさっぱりと塩味なのか・・耳でいったらラーメンをすする音、肌でいったらラーメンを食べて熱さではだがほてってくる感じ。
この感覚によって今食べているあなたのラーメンが存在します。
そして、そこにあならの感情や考えが動きます。
あー、なんて濃厚なスープ、麺とも味がなじんで、さらにこの煮卵のおいしさ、チャーシューの厚さたまらない・・なんてコメントが出てきて、それが記憶されていきます。
自分が食べてなくても、その映像をみたらバッチリと刺激されます。
そして人が並んでる。多くの人がいる=価値あるものにちがいない。それを逃してなるものか。
もしくはそこから外れるのが嫌。疎外感を味わいたくない。
そんな因果関係も出てきます。
多くの人が並んでいるということは過去食べたラーメンの味よりも、もっとおいしいかもしれないという勝手な期待も生まれてきます。
そして今はスマホから入ってくる情報にも大きく影響されます。
お店の方のこだわりや書いた人のレビューが食べる前から知ることできます。
その言葉をとってさらに、期待度がましたり、勝手な物語が始まっていったりします。
結果、並んでまで食べたくなります。

まだ食べてもないのに、美味しいに違いないと思い込み、期待し、並んで、時間を投資し、お金を投資し、
一瞬の美味しさを感じようとするのです。

五感で得た情報を確信もって、事実だととらえて、そこに勝手に意味価値つけて幸せを感じることができるのです。

日常とちょっと違うもの、五感に新たな刺激をくれるものを人は求めて、その意味価値を見出せるものに列をなしてまでも体験したいとなるのかもしれません。

AI人工知能と街並み

2.正体不明のものに対しては

ここで同じように今まで当たり前を超えるもの、日常ととっと違うもの、五感に新たな刺激をくれるものに「学び」もあると私は思います。
けれど学びに対しては列ができないんですよね。
私が列をなしてまで手に入れるべき学びはただの学びではなくて、人間とは何かがわかる、宇宙の根源までもがわかる「真実」を理解し、それを実践で使うことができる、今までにない令和時代の新教育技術です。
これがなくては生きていけないでしょうというものなのに、人は興味を持つどころか怪しんだりするのです。

ここに脳のクセが働きます。
脳は有限化してとるのが好きなので、模様形があるものに安心します。
そして部分だけとり、違いだけを取ります。
比較するものがないと判断できないのです。
さらに過去とつなげてとるので、今までの自分たちの経験してきた中から情報を取ろうとするので、難しいのです。

これまでの学びは誰かが発見してきたもの、解析してきたものを多くの人が共通の概念だとしてで学んできました。
けれど真実は誰も今まで正確に伝えることができないから、共通が取れません。
想像ができない。イメージできないものに対して、人は恐怖を抱きます。例えば明かるところから、突然暗闇になったら、恐怖心が出てきませんか?
その状態と一緒だと思うのです。
そして得体のしれないもの=怪しい=宗教=悪いものという考えが成り立っているように思います。

でも実はその目で見る、脳で創り出す世界の方が不確定で実体がなく、目で見えない、脳を超えたところの方が安定していて真実であるのです。

これすごいもったいないと思うのです。
今真実が何かを理解することは学びであり、実践で使える技術でもあるのです。
この真実を学び、使うことで、今ここがどんなに奇跡で感動なのか。目を開ける、目を閉じる一つをとっても、それが神秘神聖です。

そしてそのことができる仕組み、これを一つ知っていたら、あらゆるものを自らが生み出すことができるのです。

真実は分離がないので、そのひとつからあえて境界線をつくり、今ここ存在として出会えることが、どんなに奇跡のことなのか、それを感じるだけで、常にわくわくドキドキします。それが消えることが無いのです。
並ばなくても、あえてその場に行かなくても、目の前の人やものと出会えるだけで、涙が出るくらいの感動を味わいます。
そこから出会うラーメンは、どんなラーメンであれ、世界で唯一あなたしか見ることのできない、味わうことのできない奇跡のラーメンです。

人間の5感覚脳を使った感覚機能で味わう感動は一瞬で消費されてしまうけれど、人間の脳を超えたところの感覚技術を使って味わう感動は永遠不変です。
あなたはどちらに価値を見出いし、どちらに時間とお金とあなたの命を投資しますか?

冷やし中華と麦茶

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