はじめまして、薩摩の大ちゃんと申します。
以後お見知りおきをよろしくお願いします。
自己紹介
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鹿児島(離島)に生まれ、まもなく病気にかかる。
市内の病院に移り、治療を終え一命を取り留める。
その後、病弱な我が子を心配した父に連れられ、道場へ通う。
根性、忍耐力、気合といった精神論を叩き込まれ、
男らしさや兄としての振る舞いを期待されて育った。
内気で意志薄弱だった私は、昭和の九州男児のような父に大きく影響を受けた。
寡黙で多くを語らぬが、言葉に重みがあり、父の強さに憧れを抱き、
一生懸命その背中を追いかける自分がいた。
強者のイメージは父であったが、その他の要素は母から学んだように思う。
警察官で気の強い父は口調の粗さもあり、怖いと家族に揶揄されることもあり、
人間らしさを学ぶという側面では母の存在が大きく貢献していた。
感情豊かで人見知りしない母の人間力は自分には眩しく見えた。
当時泣き虫でどうしようもなかった私だが、父や母をモデルに生き方を模索した。
苦しさや辛さから逃げたくなる時も、歯を喰いしばって耐えることを覚えた。
自身の苦しみよりも両親をがっかりさせる心の痛みの方がよほど苦痛だと言い聞かせた。
「人前で涙を見せるな!母を悲しませるな!逃げてガッカリされたら終わりだ!」
それらの蓄積を得て、当時の生き方・在り方は培われたのである。
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経歴や肩書ではなくあらすじ調にしたことには意味がある。
人は生まれつき心にエンジンが搭載され、0~12歳までの段階で蓄積したものが、
その人の約9割のアクセルブレーキを構成する材料となる。
故に、両親からの教育が重要なウエイトを占める。
一度出来上がったエンジンは無意識の蓄積から生成されるため、
大抵の場合、当の本人も気づかない。
自分を変えたくても、無意識のアクセルブレーキからは逃れられない。
では、死ぬまで自分のエンジンに苦しみ続けるしかないのか。
否!各々のエンジンを自覚し、ゼロ化して自由に第二のエンジンを形成すればよい。
何はともあれ、まずは己を知ることから始まる。
※初期エンジンは消えるわけではなく、新しい選択肢が解放されるイメージ。
初期エンジンのしくみを理解することがゲームクリアといえる。
ゲームクリア特典は、2週目以降の強くてニューゲーム状態になれること。
検索:無意識エンジン発見セッション、感情手術
当記事がきっかけの一助となれば幸いである。
詳しい方法やその先はブログ内で紹介するリンクを参考にしていただきたい。
シンプルに人生とは、どんな自分になって生きていきたいかで決まるのだ。
今回は、日本人としてのアイデンティティに着目して自身について書き記していく。
冷めた若者への憤り
日本の不甲斐ない現状だからこそ若者が熱くならなくてどうする!?
ここからは、エピソードを取り上げつつ、自身を振り返っていく。
物心ついた頃から不器用だった私は、多くの恥をかいてきた。
周りに合わせて器用に生きることが出来なかったため、
笑われることや浮くこともあったが、むしろ異端児扱い上等で自我を育てていった。
一人でも生き抜いて見せると意気込んでいたのを覚えている。
エピソード① ~地獄のディスカッション編~
大学時代のことだが、私は存分に自我をぶつけ合えるディスカッションが大好きだった。
だが、楽しいはずの時間は、運悪く無気力な若者グループに当たってしまったことで、
賛同も反論も起こらない地獄の時間へと変わった。
協力的な女学生が一人だけいたが、他はボールは友達ならぬスマホが友達の無関心な男達。
お前ら…ここに一体何しにきているのだ。腹立たしさと強烈な不快感が私を襲った。
やる気がないなら帰れ!議論の邪魔だ!とキレそうになった。
こちとらディスカッションを全力で楽しみたいんじゃ!
出来る出来ないの問題ではなく、せめて参加する姿勢態度を示せ。無気力な人生の何が楽しいのだ。
当時は、冷めたな若者をその人個人の問題だと考えて疑わなかった。
無気力になる背景など知る由もなく、正しい在り方にとらわれていたのだ。
他にも、体育の時間に本気で走らない女子にイライラしたこともあった。
冷めた若者が存在することなど許さない。もっと全力で熱く生きろよ!
この頃から、周りとの温度差に絶望し、徐々に孤独と虚しさを覚えるようになった。
正義の限界
誰も救われないバッドエンド
エピソード②~独りよがりな正義の末路~
大学時代、熱くなれるものを探していた私は、ネットを通じてとある女性と出会った。
最初は気づかなかったが、精神的な疾患を抱えており、壮絶な過去が起因していた。
気づけば全力で首をつっこんでいた。
当時、心理学を学んでいた身としては、何とかして救いたいと思った。
情けないことに話を聞いて励ますことぐらいしか出来なかったが、
自分と話すときはせめて笑っていられるよう必死に交流した。
失礼な話だが、勝手に不幸と決めつけ、勝手に救おうと躍起になっていた。
救ってもらうことなど決して望んでいなかったというのに…
結果的に私は裏切られ、その人と二度と交流することはなかった。
良かれと思って起こした行動は、誰の心も救わなかったのだ。
裏切られた私は女性不信というプレゼントを頂くこととなった。
エピソード③~知覧で泣いた話~
少し話は変わるが鹿児島には知覧特攻平和会館がある。
そこに訪れること小学生、中学生、大学生の計3回。
英霊達とお兄ちゃん、同級生、年下という3つの視点での顔合わせとなる。
小学生の頃は兄を慕う弟のような気持ちで、
また中学生の頃は遊ぶことも許されなかった同級生の無念を思い、
大学生の頃は、罪悪感から写真を直視できず涙を流した。
個人の限界や若者への諦めを感じもがいていた時期でもあり、
何か思念のようなものを感じて頭痛が生じたのかもしれない。
「先人達が命を懸けて護ってくれた命だが…。日本に希望も感じない。
個人の悩みに翻弄されるばかりで、申し訳ない気持ちで一杯だ。
今の冷めた若者や現状の日本を観ると、先人達が護る価値はあったのだろうか…」
その問いの答えを見つけるまで私は死ねないと思った。
日本の涙との出会い
自分は誰も救えないという諦めや無力感を抱えたまま社会人となり、
最初の頃こそ絶望を忘れようと頑張ったが、時々無意識の諦めが押し寄せてきた。
それでも、中途半端に希望を持ち続けて強くなろうと必死にもがいた。
根拠がない自信を持ち、ネガティブなことは考えないように走り続けた。
その度に壁にぶつかり、ネガティブな人には激しい一面を見せることもあった。
だが、己を奮い立たせても個人で頑張る自分が報われることはなかった。
味方だと応援してくれた人から詐欺に遭い、いよいよもって自殺の文字が頭をよぎった。
あれ…自分てこんなに弱かったっけ…長らく涙を流していなかったが堪えきれなかった。
そんな叫びを両親にも言えず、孤独に苦しみ限界間近だった私は、
とある人物との出会いの末、遂に答えと出会った。
教科書では教えてくれない日本を教えてくれた。
日本にも若者にも可能性を感じず、絶望していた世界にも一筋の光明があると知った。
若者と日本の可能性を力強く語る姿は、何かを予感させ再び私に火を灯した。
日本が戦争犯罪国家という烙印を押されていたことに衝撃を受けた。
日本に侍がいなくなってしまった理由、日本という大きな海が抱える涙を…
その影響は、かつての大人達だけではなく、現状の日本国民にも影響を与えていたのだ。
環境に関係なく、若者が無気力なのは個人の問題だと思っていた。
抗う意思、姿勢態度が甘いだけだと。だが違ったのだ。
我々を魚だとすれば、日本は大きな海であり、今は酷く汚れている状態にある。
汚れた海で魚達が活き活きと元気に泳げるはずもないことは当然のことだった。
海を無視して無理に頑張って泳いでも、海が汚れていればやがて疲弊してしまう。
だからこそ、坂本龍馬よろしく今の日本を洗濯しなくてはいけないのだと。
日本に希望はないと諦めていた私が、再び立ち上がる意味はあるのだ。
英霊達に対し、出来ることは嘆くことではなく、これからを能動的に創っていくことだ。
若者の役割
人に投資をしない国に未来はない!
最後に
これからの時代を作っていくのは時代の若者達である。
若者が希望を感じられない社会は未来を捨てているも同然だ。
若者が才能を存分に発揮でき、心理的安全性が確保された場で、
若者が存分に挑戦できる社会を作っていくことが大人達の仕事ではなかろうか。
同時に、若者の役割とは大人達が作った常識に囚われることなく挑戦することである。
鬱や自殺で尊い命が犠牲になる社会がおかしい。
生きたくても生きられなかった人達がいる。
理不尽な社会に殺されていいはずなどない。
何度も挫折し、絶望し、精神的に病んだこともある。
当時は、個人の弱さが原因だと考えていたがそうではない。
もう一度立ち上がる意味を若者として強く提唱したい。
共に心の時代を作っていきたい。
そう想わせてくれる場・仲間と私は出会った。君達も出会ってほしい。
「英霊たちに顔向けできない…我々に生きる価値などあるのだろうか?」
かつて嘆いた私だが、日本が抱える涙と出会い、その考えはもう一度希望へと歩み始めている。
先人達が命がけで守った日本の意志を継ぎ、我々が立ち上がらなくては無作法というものだ。
当時の日本のプライド・誇り、圧倒的精神性の高さ故に、
文字通り次元の違う在り方は、徹底的に潰されてしまった。
原爆を2つ落とされてもアメリカを恨む道ではなく、和解を優先した日本。
当時、切腹(自害)の概念があったからこそ心を殺して耐え続けた。
熱くなれないのではない。眠っているだけだ。
だからこそ、当時の誇りや意志を継ぎ、完遂させる必要がある。
幸い目覚めるためのコンテンツは既に出来上がっている。
日本は勝負に勝って試合に負けたかもしれない。だが、心の勝負では決して屈していない。
むしろ最終的な勝利のため、真に闘うべき時のためにあえて退いたのだろう。
日本は終わった?否!明治維新を超える日本の勝負はこれから始まるのである。
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